2007年10月22日
昔から「事実は小説より奇なり」と言われるが、かの文豪・太宰治は著書の中でこう語った。「けれど人生は、ドラマでなかった」ドラマとは一体何だろうか。辞書で引いてみる。
1 演劇。芝居。「テレビ―」2 戯曲。脚本。「―を書く」3 劇的な出来事。劇的事件。「旅先で―がある」
恐らく太宰が語ったのは3であり「人生は劇的な出来事が何もない、つまらないものだった」という意味なのだろう。あれだけの波乱の人生を送りながら、なんというハングリーぶりだ。しかし、我々にとってドラマは、1や2の意味で認識されることが多い。TVドラマが今のように漫画原作ばかりでなく、オリジナルで良質なものが生み出されていた頃は、話題のシーンはバラエティ番組でパロディにされ、台詞は流行語となった。「父さんは…な訳で」「そこに愛はあるのかい」「僕は死にません」…こう並べてみると、確かに実生活で1や2の意味でのドラマな出来事にはなかなかお目にかかれそうにないし、こんな台詞を言う機会もなさそうだ。
でも、一度は口にしたい台詞があるのも確かだ。ならば、そんな台詞を積極的に使い、何でもない日常を劇的に演出してみるのはいかがだろうか。トイレに立つ友人の背中に「俺、待ってるから。ずっと待ってるから!」と言うだけで、友人はとんでもない所に旅立ってしまうような気になるし、何人かでタクシー2台に分かれて乗って一つの場所に行く時には、後の車に乗るなり「前の車を追ってくれ!」と叫べば、緊張感は格段にあがる。サラダを何人かで取り分ける時に「これはお前に泣かされたアイツの分…そしてこれは散って行った仲間の分…そしてこれは!俺の分だっ!」と言って、自分の皿に周りより大きいハムの一つでも盛れば、強大な敵に必殺技をおみまいする気分が味わえる。どれも心の中で言わないと友人が去って行く恐れもあるが、それはそれでなかなか劇的な出来事だ。人生をドラマに出来るか否かは、己のプロデュース力、ディレクション力にかかっている。今回の一枚はこれ。胸のドラマな台詞はナイフでなく銃弾によって導かれるはずだが、まぁ細かい事はいいじゃないか。まずはとりあえず、面白優先で生きましょう。死に際の台詞なんだけどさ。
浅沼晋太郎(あさぬま・しんたろう)
舞台、テレビ・映画、ラジオなどのシナリオライター、演出家。
俳優・声優としても活躍中。2007年、アミューズメントユニット「bpm」を結成。